Q太郎の『いぎなり怒らった』

~しみわたる一杯の水~

「忖度(そんたく)の授業」と子どもたち~ぼくらが小学生だったころ~

「忖度(そんたく)の授業」というのがあるという。

 

それも塾や予備校の話ではなく、ふつうの小学校で。

 

「そんな話きいたことない」 という声が聞こえてきそうだ。

 

それもその通りで、小学校の時間割のどこを探しても「忖度」の文字はない

 

ただじっさいに教育に当たっている先生とか、その教育の枠組みを作っている役所の人などに聞けば、「ああ、あれのことかな」と苦笑するかもしれない

 

少々なぞなぞめいた話だが、じつはみんな「忖度の授業」を受けていた。

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◆教室の戸棚からみつけた奇妙な本

センター試験」が、あと数年で終わるときいてびっくりしたのは私だけだろうか

 

子供のころにオヤジの世代から「共通一次試験」なんて言葉を聞かされてピンと来ず、ずっとあとになって「あぁ、ようするに昔のセンター試験のことか」となんとなくわかった気がした。これが今度は自分が”オヤジ”になって「おれのころはーー」と言う番になるかと思うとヘンな感じだ

 

子どもの頃にはこんなこともあった

 

小学3~4年生ぐらいだろうか。教壇の脇にあった戸棚の引き戸を開けるときれいな装丁がされた見慣れぬ冊子を見つけた。その冊子をみると、なぜだか他の教科書とはちがったヘンな書き方がしてあってどうやら授業のやり方・教え方が書いてあるようだった。私はこれをみて「・・・なぁんだ、先生も答えをみながらおしえているのか」と思った。(ちなみにすぐに勝手にみているのが先生にバレてどやされてしまったけれど・・)

 

この「先生の虎の巻」とも言うべき「学習指導要領」も、まもなく10年ぶりの改訂を迎える。

 

ところでこの新しい「虎の巻」に「忖度(そんたく)」の時間が加わるという話なら面白かったかもしれないけれ。でもそうではなくて、それどころか、もう「実施」されているという話だ

 

 ◆「ソンタクの授業じゃないですか!」

その日わたしは朝のテレビ番組をみていた。

 

そのころ世間では「教科書から坂本龍馬の名前が消えるのらしい?」という心配がでてきたりして、各局がこぞって教育がこれからどうなっていくのだろう、ということを取り上げていた

 

そしてその日もある公共放送で、これからの教育がどうなっていくかということを特集していたのだが、番組の一番さいごにになって番組を見た視聴者からの反響が紹介された

 

その日は全国的にもちょうど冬休み期間ということもあり小学生からのお便りが含まれいた

 

それは次のような内容だった

 

・・・小学5年生です ぼくは道徳の授業がとてもいやです

なぜか。

それは答えが用意されているような気がするから。

それがイヤです

イヤでたまりません

 

アナウンサーがこれを読み上げると、スタジオにいたあるコメンテーターがすかさずつっこんだ。

 

「! まさにソンタクの授業じゃないですか!」

 

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すかさず反応したのは、ハーバード大卒のお笑い芸人・パトリック・ハーラン氏だった。つまりパックンマックンの外人さんの方だ

 

ーー米国人ならではの反応、というべきだろうか

日本人の中で、こうはっきり言える人と言ったら誰だろう

 

「自由の国・アメリカ」というフレーズを思い出す

海外には「忖度」に相当する言葉がなかったため日本で取材する特派員の記者たちは翻訳するのにずいぶんと苦労したという話をきいたことがある 。「忖度」というのは、もとは古い中国だそうだが、その当の中国人でさえ日常的につかう言葉ではないらしい。それだけ「忖度」というのが日本に特有の文化だというようにもみえる

 

しかし、じゃあ外国人がまったく忖度しないかと言えばそれも考えづらい(そもそも忖度のない組織なんていうのがあるだろうか?)逆に言えば、”初めて〈忖度〉を意識したのは日本人”ということもできるかもしれない

 

ところでこの番組を見てしばらくたったある日、今度は別のジャーナリストがこんなことを言っていた。

「道徳が正式に教科になることによって全国の学校で”忖度力”が養成されかねない。まあ、財務省の官僚を養成するにはいいかもしれませんが――。」

こんななかなか皮肉が効いたコメントをしたのは池上彰氏だ。類は友を呼ぶ、というが彼は奇しくもパックンの仕事仲間でもあるという。

 

 ◆「ソンタクの授業」と”優等生”

「道徳」が正式に「教科」になったということでいろいろと議論が起きている

 

子どものころ時間割には5時間目あたりにちゃんと「道徳」とあったから音楽や図工と同じく教科の一つだと思っていた。でも、「道徳はいままで正式の教科でありませんでした」と初めて聞かされて逆に驚いた人も多かったことだろう。

 

そういえば昔よく「道徳」の授業はすっとばされていたっけ。授業進度が少し遅れるとすぐに道徳の時間が算数とか数学になって、「えーっ」というブーイングが起こっていた記憶がある。

 

わたしはさっきの”小学5年生”と同じく道徳の授業では最後になんとなく「答え」が用意されているようで違和感を感じてはいたが、道徳じたいは大好きだった。なんとなくなにかに包まれている感じもした。

 

さらにふしぎなことに、道徳だけ得意なヤツとかもいた。ほかの教科ではとくに目立った成績をあげるわけではないのだが、道徳の時間だけは並みいる優等生がおし黙っているのを尻目に決然と手を挙げ、かなりいい答えをする。みんな感心して「おーっ」と声があがる。 それをみて私は(・・敗けた)という敗北感とか悔しさはあったけれど、ふしぎと嫌味は感じなかった。忖度の結果として出た答えというよりは、ただ本当にそう思ったから答えた、という印象だった。

 

彼は私と幼なじみで、私の結婚式にも出席した関係だが、どちらかというと忖度するのが好きなタイプではなかった。しかし、じつは忖度するセンスは抜群だったのかもしれない。

 

彼はガス屋に就職して、今も重いプロパンガスを家庭に届けている(さわやかなところがあるいい男だが、いまだに結婚式の招待状が届かないことだけがもどかしい)。

 

通知表を見る男の子のイラスト(ショック)

 

そう考えてみると、じつは「道徳」の授業で忖度するというのはそれほど簡単なことではないかもしれない。ふだんあれだけ勉強が得意なやつらが肝心なところでこたえられなくなってしまう。そこでふだんまったく目立たない子がふと出した答えがスマッシュヒットだったりする。きっと彼らは、たとえその日一日だけでも誇らしい気持ちになっただろう。そして一生そのことを覚えているかもしれない

 

いままではそんなチャンスがいとも簡単に失われてきた。

 

そう考えてみれば、お上の方から「道徳はちゃんとした教科だ。流さないでしっかりやれよ!」と圧力がかかったとしても、結果としてはいいかもしれない。

 

 

もちろんいろいろと気になることはある。1学期の終わりに通信簿をひらいて成績評価をみたときは、みんな少しはドキドキしたのではないだろうか。「道徳」の成績評価を見た経験はないけれど、いったいどんな気分がするものなのだろう。そして、どんなことが書かれているのだろうか。

 

「道徳」が「教科」になってから初めての通信簿が、今年から家庭に渡る。国語や算数の評価とならんで「道徳」の成績評価も始まることになるが、これには困惑の声や異論を耳にすることも多い。

 

はじめての「評価」をどうすべきか、先生方も苦労されることだろう。

 

でもこれからの子どもたちは5時間目の道徳の時間が国語や数学に変えられなくなるのならうらやましいなあというふうには思う。

 

そんな子供だったのは、私だけだろうか。

 教えるのが下手な先生のイラスト(女性・小学校)

 

 

〈道徳の教科化〉

 これまで小学校には教科外活動として「道徳の時間」があったが、2018年度から教科化された。これにともなって「道徳」の成績評価が始まる。評価のしかたをめぐってさまざまな議論があったが、最終的にはABC評価のような順位や序列をつけるやり方ではなく、記述式で行うことになった。ただし本来、多様であるはずの個人の生き方や考え方、価値観に対して評価を与えるということについては異論もある。

 年間35コマの授業が義務化され、もちいる教科書はほかの教科と同じように文部科学省の検定を受けなければならない。

 教える内容は「善悪の判断」「誠実」「思いやり」「国や郷土を」愛しているかなど。

 今年(2018年度)から小学校で教科になり、来年からは中学校でも教科としての道徳が始まる。

 

 

世間はいったい何に対し怒ったか?~日大アメフト部タックル事件の根底に横たわるのは

 

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日大アメフト部の反則を巡っては、ずいぶんと長いあいだメディアを賑わした。事件から1か月を経てもなお収拾する気配がない。

 

反則を指示した疑いがもたれる元監督に対して、世間は目は極めてきびしい。常務理事の辞任に追い込まれているにもかかわらず、だ。理事長に対しては「辞任せよ」という動きまで出ている。

 

いったいなぜか。

 

世間はいったいなにに対して怒っているのだろうか?

 

コーチや選手にすべて罪をなすりつけ、自らは責任を逃れる(かに見える)監督にだろうか

 

あるいは「勝手な思い込みでやったことだ」と一方的に学生を突きはなし、その後一貫して冷淡な態度を示しつづけてきた大学に対してだろうか

 

さもなくば勝手に忖度(そんたく)した、ということにされて誰がが冷たく切り捨てられていく組織のあり方に対してだろうか

 

都合の悪いことにはすべてフタをしろ、見て見ぬふりをしろ、永久に闇の中に葬ってしまえ、という組織の論理に対してだろうか

 

 

このことは一向、独り日本大学だけの問題ではないだろう

 

政治家や官僚がやっているのを見てそれを民間がマネしただけ、というようにも見える

 

安倍総理とその手足になって働いている周りの人間たちは、いいお手本を示し続けているようにみえる

 

本人たちにはそのつもりがあるかはともかく、一生懸命、国民を「感化」し続けるかたちとなった。国のトップとして、率先して模範を示しつづける様子を、日本全国・津々浦々で小学生までも注目している

 

 

今回の反則問題で、あらためてパワハラの構図というのが浮き彫りにされている

 

組織に属したことのある人であればこのようなことは程度の差はあれ誰しもが経験し、見聞きしたことではないだろうか

 

今回、”アメフトの試合”というわかりやすい”舞台”があった。実際の場面が撮影されており、動画で拡散しTVで日本中が知ることとなった

 

とは言え正確なアメフトのルールがわかる人はほとんどいなかったろう。しかしあの動画を一目見て異常なプレーだと思わない人がいるだろうか

 

さらに監督がコーチを通じて学生に反則の指示を下したのではないのか、という点が議論になった。自分では直接手を下さず、ひとにやらせるというやり方だ。この点もいじめの構造としてはわかりやすく、多くの人が直感的に理解したことだろう。

 

ここまでならまだましだった。

 

ところが大学側はある種、理想的な対応をした。本来ならばそれにいたる事件の経緯を誠実に説明することが謝罪の第一歩になるはずだった。少なくとも部として、大学として、それを説明する責任を負っていたはずだった。また誰もがそれを求めていた。

 

ところがその責任はいつまでたっても果たされることはなかった。日大が相手チームに対して出した答えは次のようなものだった

 

指導者による指導と選手の受け取り方に乖離(かいり)が起きていたことが問題の本質と認識しており

 

ーつまり「指導者」の意図したことと、「選手の受け取り方」にズレがあったと言いたいわけだ。コミュニケーションの行き違いといえば聞こえはいい。しかしこの言い方、やはり「既視感」がある。どこかで聞いたような言い回しではないか。

 

「部下が勝手な思い込みでやったことで、自分が指示したことではない。一切かかわっていない」

 

うんざりするほど聞いた気がする。

 

「記録はぜんぶ捨てたなんて、そんないいわけがまかり通るのか、」と納税者の反感を買い、国政のトップで仕事をしていた官僚が、まるでこいつらが全部わるいとばかりに槍玉にあげられた。組織的に文書を改ざんしていたことも明らかになった。

 

しかし、よくよく考えてみれば彼らがかわいそうになってくる。

 

どこかの国では、権力のトップとか財閥のお偉いさんとかを何か理由をつけて引っぱってきて吊るし上げて、うっぷん晴らししているようだ。それと同じにはなりたくはない。官僚を吊るし上げにしてうっぷんが晴れてしまっては、それこそ思うつぼではないか。

 

そもそも彼らがそれほどまでに忖度(そんたく)をしたとすれば、それはほかならぬ官邸の気に入らなければ絶対に出世できないからだし、彼らをそばに置いているのはほかならぬ官邸の意向でもある。結局、そういう人たちを起用したのは誰か、という問題になる。

 

また何が彼らをそこまで追い込んだのか、ということでもある。本来、官僚というのは民間に対して”法律をしっかりと守りなさい、守らんとタダじゃおかんぞ!”というスタンスで監督するのがだいじな仕事のはずだ。運輸局とか、財務局とか、そういった官庁のトップに位置するのが今、ニュースを騒がしている官僚の方々だ。万が一、民間が官庁に提出するべき書類を改ざんしていたら、それを許してはならない立場にあるのが官庁なのだ。だから文書を改ざんするということがどういうことなのか、誰よりもわかっているのが官僚という人たちだ。

 

それでもやった、ということなのだ。

 

言ってみれば、絶対にありえない反則をやったのだ。

 

それをやらせたのは誰なのか?

 

国のトップの説明は、どこまでいっても言い訳がましく誠意を尽くしているように見えない。まるでどこかの私立大学のトップのように。

 

政治のやり方に向けられた私たちの疑いの目・不満や怒り、そういったすっきりとしないフラストレーションが今回、「またか」と言わんばかりに”アメフトの試合での反則”というわかりやすい場面を得て噴出した。日大に、そして元監督に向けられた。しかし、やはり日大も同じようにのらり、くらりと追及をかわし、どこまでいっても納得のいく結論が出ることはなかった。こういった問題にとっての宿命のようなものなのだろうか。

 

しかし私たちの気持ちにこのようなもどかしい思いがもしなかったとしたら、反則をめぐってもここまで大きく騒がれることもなかったのかもしれない。

 

そんなことをしている間に資産家の亡きがらから覚せい剤が検出されるというスキャンダラスな報道がニュースを席巻してしまった。大阪で大きな地震が起き、小学生を含む3人が亡くなるといういたましいことも起きた。ワールドカップも始まった。

 

すっかり私たちの気がそれたところに、今日の加計幸太郎氏の釈明会見が開かれた。まさに機をみて、というところだろう。

 

しかし、ワールドカップがいかに盛り上がろうと、日大の反則事件に対する司法の対応がどのような結果に終わろうとも私たちの心の内にくすぶっている疑問が消え去ることはないだろう。

 

ものごとに白黒つけないことで成り立っていることが、世の中にはいかにあることか。ほかならぬ筆者も、思い返せばそんなことばかりでずいぶん助けられている。

 

しかし一方でどこまで行っても結論が出ない状況にうんざりしている人がいるのも確かだ。「国民もずいぶん馬鹿にされたもんだ」そんな声をじっさい聞く。

 

幸か不幸か、大阪の検察は財務省の職員の起訴を見送った。罪に問われない、ということだ。しかし問題はこれで終わりではない。制度上もそうではあるけれども、なによりも私たち国民が納得していない。

 

「私は何もしていないのに、部下が勝手に動いたんです。」

 

そんな態度に傷つけられてきた人たちが、どれだけいるだろう。

 

実名を明かしてテレビに姿を現したアメフト部の3年生に同情した人も多かったのではないか。

 

「反則問題」は、まだ終わってはいない。

 

 

知っていますか?チョコレートを食べる前に知っておきたいこと ~私たちの心・からだが受けている影響~

 

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夜もふけた11時過ぎ、なぜか急にチョコレートが無性に食べたくなって、葛藤(かっとう)したけれど遂に欲望にあらがえず、気がついたら板チョコ一枚食いつくしていた・・そんな経験があるのは筆者だけでしょうか?

 

じつはこれは単に意志を強く持てばいいとか、お腹がすかないように食べておけばいいとか、そうとも言い切れない部分があるのです

 

最近ではチョコレートにはポリフェノールが多く含まれることが知られているため、チョコレートが健康に及ぼす良い効果が注目されているようです

 

ただしそんな今だからこそチョコレートの持つもうひとつの側面ーーいや、いくつかの別な顔について知っていおいても損はありません

 

知らないままだと損をしつづける可能性も大アリです

 

特に次のようなかたは要注意です

 

牛乳を飲んで、おなかがゆるくなったことがある人

 

コーヒーを飲んでねむれなくなったことがある人

 

妊娠の可能性がある女性・妊娠中の女性

 

 チョコレートは以上のどの人にも関係のある食品です

 

 

 ⒈チョコレートには乳糖が含まれている

まずチョコレートにはふつう乳糖(にゅうとう)という成分が含まれます

 

乳糖とは耳なれない単語ですがようは牛乳にふくまれる糖分のことです。牛乳を飲むとほのかな甘みを感じます。これは乳糖の甘みです。甘さを感じる食品はいろいろとありますが、果物などにふくまれる糖分や、ご飯が消化されて最終的にできる糖分などとは糖の種類自体が違います

 

乳糖は母乳の中にも含まれています。つまり私たちは母乳や粉ミルクで育った人ならだれでも乳糖のおかげで成長したわけです

 

ただこの乳糖について一つ困ったことがあります。ほとんどの人は成長するにしたがってこの乳糖を消化する力が小さくなっていきます

 

たとえば「おれ牛乳飲むと腹こわすから・・」といって給食の牛乳を毎日残す人が学校にいませんでしたか?これは乳糖を分解する酵素(こうそ)が成長するにしたがって減っていくためです。もちろん気合いが足りないとか、好き嫌いはいけないとかいうこととはまったく別の話です

 

腸のなかに入ってきた乳糖を分解・吸収する能力には個人差があり、赤ちゃんであっても母乳を消化できずに下痢をしてしまうこともあります。また大人になってから牛乳を飲んでもぜんぜん平気という人もたくさんいます

 

このように乳糖のためにおなかがゆるくなるなどの症状が出たばあい、お医者さんでは”乳糖不耐症”という診断が出されることもあります。文字どおり乳糖への耐性がないために消化器症状がでることです。(逆に言えばお医者さんもそれ以上言いようがないわけです)食品不耐症の一種で、アレルギーとも別なものです。

 

それで、なぜこんな話を今ここでするのかというとはじめに触れた通りチョコレートにも乳糖が含まれています

 

ですから、「わたしは別に牛乳を何杯飲んだって平気」という人はべつとして、「なんか牛乳を飲んだ日はおなかがゆるいようだ」「ヨーグルトを食べすぎると調子が悪い」というようなことに心当たりがある人は注意が必要でしょう。乳糖をお腹の中に入れるという点ではチョコレートを食べることは牛乳を飲むこととなんら変わりません。食べ過ぎてお腹がゆるくなったとしても、なんの不思議もないわけです

 

ただ考えてみれば、乳ばなれしてる以上はお母さんのおっぱいを消化・吸収できる必要はないわけですから、からだの仕組みとして当然と言えば当然のことでもあります。このような生理的なしくみは人間に限らずほとんどのほ乳動物にみられます。生物として自然なことなのです

 

ともあれ、ここまでがひとつ目の注意点です

 

 

2.チョコレートにはカフェインが含まれる

次に、これはもっとわかりにくい点です

 

チョコレートにカフェインが含まれていることを知っていましたか?

 

これについては先ほどのべた乳糖(にゅうとう)の方はまだましです。パッケージの裏に書かれた「原材料名」をよく読めばそこにはっきり「乳糖」と書いてあるからです。堂々と材料として表示されているわけですから、消費者としては「そんなのが入っているなんて知らなかった」とは言えないわけです(ふだんあまり読まないとは思いますが)

 

これに対してカフェインが入っているなんてことはチョコレートのパッケージのどこを見ても書いてありません。それもそのはずで、そもそもが原料であるカカオ豆に含まれているからです。コーヒー豆や緑茶を買って「原材料名:カフェイン」と書かれていないのと同じです。

 

当たり前と言えば当たり前ですが、意表をついています。盲点をつかれた気分です

 

チョコレートにカフェインが入っていると聞いていまだに信じられないというかたもあるかと思います。ただしチョコレートにカフェインが含まれていることは明らかで、農林水産省の資料を見ても、厚生労働省の資料を見ても、また外国の保健省の発表を見てもチョコレートにカフェインが入っていることを前提にしています

 

 ◆デカフェの流れの一方で…

ところでノンカフェインもしくはカフェインレスをうたった飲料・食品も多く発売されています。 たとえば次のような商品はどちらもカフェイン0をうたっています。CMなどで見かけることも多いでしょう

 

キリン 生茶デカフェ  PET 緑茶(430ml×24本)

 

アサヒ飲料クリアラテfromおいしい水600ml×24本

 

消費者のなかに「なんとかしてカフェインをさけたい」という思いを持っている人が少なからずいる、ということでもあります。特に女性のばあい、妊娠に直接関係してくるので注意が必要です。

 

ところでカフェインにねむ気覚ましの効果があることはだれもが知ることでしょう。夜おそい時間にコーヒーを飲んだらねむれなくなった、という話を耳にします。しかし、一方で「試験勉強のために夜コーヒーを飲んだけど、すぐ寝ちゃった。」という話もよく聞きます。このことからもカフェインの効き方は人によってかなり違うとことがわかります。カフェインの感受性には個人差があるのです

 

カフェインが私たちにもたらす作用はねむけ覚ましだけではありません。心と体の両方に影響します。おしっこがたくさん出たり(利尿作用)、脂肪が燃焼しやすくなり基礎代謝が向上します。血圧は上がります。体温も上昇します。疲労感を軽減してくれる一方で、大量に摂取すると不安やイライラを誘発するということもわかっています。このほかにも様々な作用があり、ここでは書ききれません

 

またカフェインが入っているのは食品だけではありません。かぜ薬や頭痛薬にも入ってる場合もあります。たとえばかぜ薬の箱をよく見るとカフェインがいくらいくら入っている、ということがちゃんと書かれいます。カフェインは中枢興奮・鎮痛薬として認められた薬物でもあるのです。ですがその一方でチョコレートなどの食品に含まれる量については表示されていない、ということも事実です。

 

さらにチョコレートに含まれるカフェインとその類似物質であるテオブロミンには依存性があるということが指摘されています。これはコーヒーを飲んだりチョコレートを食べたりといった行為が習慣になっていく主な原因でもあります。カフェインの効果がきれると不安や抑うつといったさまざまな”離脱症状”が起きてくることも知られています。夜、なぜか衝動にかられて板チョコを食べつくした・・という話を冒頭であげましたが、ひとつのの依存状態といえるかもしれません。(ちなみにこれは筆者の過去の実体験でもあります)

 

 

◆チョコレートのカフェインは微量?

それではチョコレートにはどれだけのカフェインが含まれているのでしょうか?

 

東京都の保健福祉局の情報をもとに計算すると、板チョコ一枚には、平均して約30㎎ぐらいのカフェイン含まれています*1

 

コーヒー一杯に含まれる量はおよそ90㎎ですので、”板チョコ一枚に入っているカフェインの量は、平均してコーヒーの3分の1”ということが言えます

 

ただしこれはあくまで平均の話であって、チョコレートにどれだけのカフェインが入っているかというのには商品によってかなり幅があります

 

主な理由として考えられるのがカカオの割合です。

 

たとえばあるミルクチョコレートではカカオが27%の割合で入っています。ビターチョコレートでは40%、ダークでは55%です。そしてハイカカオと呼ばれるもののばあい70%もの割合でカカオが含まれています。ミルクチョコレートに比べると約2.6倍です

 

こうなってくると、カカオの割合が高まるにつれてカフェインのレベルがコーヒーに近づいてくるのがわかります。先ほどの東京都のデータをもとにすると、チョコレートに含まれるカフェインの量は最大で板チョコ一枚につき90㎎、これは先ほど見たコーヒーの数値と同じです。つまりコーヒーなみのカフェインを含んだチョコレートがあるということです。

 

お店でハイカカオのチョコレートを手に取る人のなかに、このことをわかったうえで商品をレジに持っていく人がどれだけいるでしょうか?

 

たとえば仕事でくたくたになって帰ってきて、今日一日の自分へのご褒美としてチョコレートを買う。ポリフェノールが多いという理由でハイカカオのチョコを選んで、寝る前にひと口食べたらついイッキ食いしてしまったーーところがいざふとんに入ったはいいけれども寝返りばかりうってなかなか寝つけないーー。カフェインに対して感受性がある人なら、こういったことが起きても不思議なことは何もないということになります

 

イカカオチョコレートに限らず、チョコレートにカフェインが入っていること自体、知らずに生活しているという人は多いのではないでしょうか?

 

企業のプロモーションのしかたもなかなか工夫されています。たとえばパッケージの箱をあけると内がわには「朝、すっきり目覚めたいあなたに・・・」「集中力が切れたときのリフレッシュに!」といったことが書かれています。「時間帯や気分によって食べ方を変えて、いろいろな楽しみ方ができるよ」、というアピールで、チョコレートの楽しみを広げてくれます

 

ただ、ここには逆に読めば企業側の葛藤(かっとう)を読みとることもできるわけです。上の例では朝・昼・晩ご飯の前に食べることを提案してはいても、就寝前や夕食後のリラックスタイムに食べるようにはすすめてはいません。「時間帯」によって食べ方を変えることをすすめているのです。なぜでしょうか?これはまさにチョコレートには覚醒作用がある、ということをはっきり言っているようなものです。

 

企業のホームページをみると”チョコレートにカフェインが入っている”ということも書いていますので、当然カフェインの影響についてはわかっているわけです。しかし「カフェインが入っています。お子さん・高齢者などは心身に影響が出るので十分注意して食べて下さい。また妊娠中もしくは妊娠の可能性があるかたは、食べ過ぎると胎児の成長に悪影響がおよぶ可能性があるので注意してください」などとは書けないわけです。先ほどのような書き方をすることで精いっぱい、と解釈することもできます。

 

ちなみに国民生活センター(国の機関です)がハイカカオチョコレートについておこなった調査では、「カフェイン量が表示されている銘柄はなかった」という結果でした。*2普通のチョコレートとハイカカオチョコレートあわせて15種類のチョコを調べてみたが、カフェインがどれだけ入っているか書かれているものはひとつもなかったそうです。

 

ちなみに海外ではカフェインが心身に与える影響を考慮し、一日にどのぐらいまでならカフェインをとってもいいよ、ということが国によっていちおう示されています。たとえば妊婦さんならコーヒーをマグカップで2杯ぐらいまで*3、「健康な成人」なら3杯ぐらいまで*4ならOK、という具合です

 

チョコレートに換算すると、妊婦さんであっても一日に板チョコ6枚までなら食べていいよ、ということになります。こう考えるとだいぶ気がラクですね。

 

ただしここで気をつけたいことは、これらはあくまでイギリスやカナダの政府機関が発表した基準であり日本人の体格などは考慮されていないことです。

 

では日本の政府機関はなんて言っているかというと、面白いことに日本では基準は設けられていないというのが答えです。現在「情報を収集している段階」*5にあるとは言っていますが、「カフェインに対する感受性には個人差があるので」という理由で国としては「日本人が一日にこれだけならチョコレート(カフェイン)を食べていい」という基準を設けてはいないのです

 

一見、無責任な態度のように見えますが、「情報を収集している」ということは確定的な情報もないということもできます。最終的には個人差があり、人によっては少し食べただけでも体に変調をきたす人もいます。カフェインを分解(代謝)する能力には遺伝子の違いも影響していると考えられているので、個人差があるのはあたりまえです。そう考えると基準値を一概には言えない、という結論になってしかたない側面もあります

 

「自分はコーヒーに敏感だな…」と感じている人は、はじめからコーヒーの飲み方などには気をつけているでしょう。しかしまさかチョコレートで目がさえたり、興奮したり、依存性があるなんて知らなかった・・という人はけっこういるのではないでしょうか?

 

健康への害が少ないとされる一方で、その身近さゆえに小さな子供や健康に不安を抱える人でも気軽に食べてしまうのがチョコレートです。デカフェがひとつのトレンドを形作っている一方でどの食品にカフェインが含まれているか、どの程度入っているかという情報は知らされないままになっています。企業は「入ってないよ」とアピールはするが「入ってる」ということについては沈黙を守っています。国民生活センターは2008年に「高カカオチョコレートにテオブロミンやカフェイン量を表示するよう要望する」と言っていますが、実現されていません。

 

ある人々にとってデカフェは切実な問題でもあります。まずはチョコレートをはじめどういった食べ物にカフェインが入っているか。これを把握していくことがデカフェを始めるもうひとつの大切なやり方であることは間違いないでしょう。

 

〈関連記事〉

qtaro-kujo.hatenablog.com

 

 

*1:チョコレート100gにふくまれているカフェインの量は平均して61㎎、板チョコ一枚はおよそ50gとして計算

*2:2008年、”高カカオをうたったチョコレート”のテスト結果

*3:英国食品基準庁・カナダ保健省

*4:カナダ保健省など

*5:食品安全委員会の見解

毎日、会社で腹を下していた私が快適な「腸生活」を手に入れるまで(5)~この納豆を選べばいい!~

「大豆と枝豆は同じもの」ーー

 

一見、腸の環境改善となんの関係もなさそうなことです

 

しかしこれはキーポイントです

 

ほとんど誰も気が付いていないように思います

 

「大豆と枝豆が同じもの、という話は聞いたことがあるけど半信半疑だ」

 

という人は私だけでしょうか?

 

長年そんな思いを持っていた筆者ですが昨年、この疑問を直接たしかめる機会を得ました

 

たまたまヒマをもてあましてベランダ菜園を始めたのです


ホームセンターでなんとなく選んだのは枝豆の種でした

 

ところが袋に入っていたのは、なんのことはないただの大豆。

 

”ビールのつまみに最適!”なんていう広告の文句が書かれてはいますが見た目はどこをどう見てもただの大豆です

 

それで園芸雑誌などを参考に育ててみると夏ごろには青々とした枝豆が育ちました

 

「枝豆のタネ」を植えたんだから当たり前ですが、じゃあこれをほったらかしにしておいたら本当に大豆になるのか、と思って試しに一部を収穫せずに放っておきました

 

するとだんだんと枯れてきて秋口になるとちゃんと大豆になっていました

 

大豆を蒔いたら大豆が収穫できた、という当然すぎる結果とも言えますが、同時に半信半疑だった気持ちも消えました


まちがいなく「枝豆は大豆の若もぎ」でした

 

ところでこれは本当に余談ですが、大豆と枝豆が同じということをもっと簡単に、それも誰にでも実感できる方法があります

 

カッチコチの大豆を、しばらく水に浸しておくのです

 

どうなるでしょうか?

 

答えは「枝豆ができる」です

 

大豆を水に戻すと枝豆に戻るのです

 

ただし色は大豆とほぼ同じです(緑色ではありません)

 

イチから大豆を育てるのはたいへんですが、大豆を水につけておくぐらいはわけないことです。関心のあるかたにはぜひ一度試してみてはいかがでしょうか

 

(ちなみに私はこのことに偶然気づきました。収穫し忘れてこぼれていた大豆が、雨でふやけて戻っていたのです。ほんとうに驚きました。)

 

 

◆なぜ納豆で腹がもたれるのか

ところでなぜここで「枝豆=大豆」ということをこれほど力説する必要があるのでしょうか?

 

それは納豆は本当に消化に悪いか、ということに直接かかわってくるからです

 

 

食べるときは普段あまり気にかけないかもしれませんが、納豆は大豆を発酵させたものです。だからよく見ると豆ひと粒ひと粒に薄い皮がかぶっています

 

つまりこの皮は枝豆にかぶっているうす皮と同じものであるだけでなく、さらに成熟した豆の皮なのでもっと硬いということだって考えられます

 

わかりやすくするために、もう一度そら豆に戻って考えます

 

もし仮にそら豆でも大豆と同じように納豆を作ることができるとしたら、その出来あがった「そら豆納豆」を皮ごとむしゃむしゃ食べる人がいるでしょうか?

 

いくら発酵食品で体にいいからといっても、ふつうはできないでしょう

 

みかんを食べるときだって、人によっては薄皮を食べない人もいます

 

コーンポタージュに皮は入っていません。ぜんぶ濾(こ)して捨ててしまいます

 

お米だったら(脱穀するのはもちろんとして、)玄米を精米し、白米にしてから食べます

 

ほんとうは栄養面その他もろもろ考えると、白米ではなく玄米を食べたほうが圧倒的に有利であるにもかかわらず、そうします

 

その方が食べやすく、おいしいからです

 

 

納豆をそのまま食べるということは、皮ごと豆を食べているという点では、そら豆を皮ごともりもり食べることとなんら変わりありません

 

そう考えると少し胃腸が弱っている人がこれを食べたら、消化不良を起こしてもなんの不思議もないと考えるのが妥当でしょう

 

まちがっても体の弱っている人・病気の人にそのまま食べさせてはいけない食べ物だ、と私は考えています

 

 

では私のように納豆を食うと調子がよくないとうタイプの人は、今後いっさい納豆を食うのをガマンしなくてはならないのでしょうか?

 

こんなにカラダにいいと言われ、ほんとうは水溶性食物繊維も豊富でお腹にいいはずなのに。そしてなにより「おいしいから本当は納豆が食いたいんだ!」という人もいるはずです

 

そんなことはありません。

 

ガマンしなくてもいい方法があります

 

 

納豆を買うときに「ひきわり納豆」を選べばいいのです

 

 ◆ひきわり納豆とは?

じつは納豆の種類には大きく二つあります

 

ひとつは一般的な粒の納豆、もうひとつは「挽き割り(ひきわり)」と言われている種類です

 

「ひきわり納豆」というのは人によってはあまりなじみがないかもしれません。「ひきわり納豆?食べたことないね。そういえばスーパーで見たような気もするけど我が家では出てきたことがないよ」という人もいるかと思います(うちの奥さんのように)

 

逆にこういう人もいるでしょう「わたしの家では、生まれたときから納豆といえばひきわり、ひきわり納豆以外が食卓に出てきたことはない」(わたしの実家がそうだったように)

 

ひきわり納豆とは、納豆の製造過程で大豆を挽(ひ)いて割ってから発酵したもののことです。食べるとわかりますが、砕けて割れているので普通の納豆に比べて粒が細かくなっています。逆に小さな頃からひきわり納豆を食べて育った人が初めて一般的なつぶの納豆をたべると、なんとなく「つぶがおっきいな…」という印象を抱くかもしれません

それぐらい見た目の印象も違います。

 

ご自分でコーヒー豆を豆から挽いていれたことがあるという人であれば、イメージがしやすいかもしれません。コーヒー豆ほど細かくはしませんが、豆を「挽き割り」にするという点はよく似ています

 

ところでこの「ひきわり」、ただ割れて粒が小さいということのほかに決定的に重要な違いがあり、それが豆の薄皮が全部むけているという所なのです

 

なんという素晴らしいことでしょうか⁈

 

豆のうす皮のせいで胃が苦しいハラがゆるいと悩んでいたところに、その困ったうす皮が全部取りのぞかれた納豆がスーパーに売っているなんて!?

 

ひきわり納豆というのは豆をひいたときにに薄皮がはがれてしまうので、それは全て取りのぞかれた上で発酵されます

 

なんと素晴らしい夢のようなものがこの世に存在するのでしょうか。

 

しかも値段もふつうのつぶ納豆とたいして変わりません(1パック10円ぐらい高い程度)

 

大豆の皮が消化に良くないという問題はこれで解決です

 

このことに気づいて以降、納豆を食べた日の手ごたえ(腹ごたえ)というのは格段に改善しました

 

食後の胃の辺りの不快感が軽減しました

 

ただし私のばあい納豆をひきわりに変えただけでは十分ではありませんでした

 

パック一個、朝にぜんぶ食べるとそれでも胃腸の負担に感じることがあったので一個ぜんぶたべるのはやめてパック半分を食べることにしました

 

これで納豆にかんしてはすべてが解決しました

 

その後、

 

(やっぱり皮は関係なくて、たんに量を減らせばいいだけだったのではないか…?)

 

という思いがふたたび頭をもたげ、試しにつぶ納豆をパック半分食べてみました

 

ー結果、胃の不快感は出るしお腹もゆるくなるという結果になり、最終的にはやっぱり挽きわり納豆に落ち着きました

 

いまは、継続して毎日表彰状をあげたいぐらいお腹の調子は快適に過ごさせてもらっています

 

納豆を食べて調子が悪いという日がありません

 

半分食べるというとなんだかケチくさいような気もしますが、逆に生たまごやめかぶとなど他の食材と合わせるにはちょうどいい量です

 

保存の手間などはありますが、逆に食事に工夫の余地がふえたということもあります

 

今回のアメフト・反則問題について ーーほんとうに恥知らずなのは独り日大だけなのか?

今回の日大アメフト部の試合中に悪質な反則が起きた問題について、連日さまざまな意見が飛び交っている

 

しかし、この一連のやりとりを見ていて、とりわけ日本大学の広報部のコメントを目にし”既視感”にとらわれたという人は私だけではなかっただろう

 

「・・・なんか同じようなやりとりをどこかで見たような気がするけど・・・」

 

”既視感(デジャヴュ)”とは本来の意味では「ほんとうは見てはいないのだがなぜだか不思議と見た気がする」ということになるのだろうけれども、今回のは違う

 

実際に見て、耳にしている

 

それも私一人の個人的な体験ではなく

 

ずーっと同じようなやりとりを耳にし続けてきた、この何か月

 

日本全体がもう、耳に慣れてきていたはずだ

 

このやりとりが

 

今回、日大の試合でラフプレーがあったことで一番得しているのは誰だろうか?

 

ワイドショーの見出しトップは一気にこの問題に一色に塗りかえられた感がある

 

国会での野党の追及は、現在、新しい段階に進みつつある

 

どういうわけか、次々に新しい資料が出てくる

 

「都合の悪いことは隠そうとしているんではないか?」

 

どんなに国会に興味がない人であっても、そんな疑問を持たない人がいるだろうか

 

「指導者による指導と選手の受け取り方に乖離(かいり)が起きていたことが問題の本質と認識しており・・・」

 

というのが日大が大学として出した回答だった

 

こうなってしまってはもう取り返しがつかない

 

猫も杓子(しゃくし)も、国会答弁を真似しはじめている

 

今や、北朝鮮があまりにもミサイルを発射するものだから、まだ字も読めない幼稚園児でさえミサイルは「キタチョーセン」から来るということを知っている

 

そのうち保育園児ですら

 

「あいつが勝手にソンタクしたんだ、ボクわるくないもん!」

 

などと言いだすのではないか

 

加えて大学というのは教育を行う場所だ

 

つまり人をつくる場所だ

 

そこで作られた人々が、社会にはばたいていく

 

あるいははばたけずいく

 

そのひとりひとりが世の中を結局作っている

 

そう考えれば高度な公益性、公共性をもった事業体だと言うこともできる

 

その事業体をもってしてこの醜態をさらしている

 

二十歳そこそこの、若いと言っても言い足りない若者である

 

その人に記者会見までさせてしまっている

 

見上げた根性とでも言えばいいのか

 

いったい、この丸刈りの、さわやかな風のある青年を見て特攻隊の青年たちのことを思い出した人も多いだろう

 

いったい、どうしてこうもいつの時代も若者が犠牲になるのか?

 

日本という国は70年前から一歩も進歩していないというのか?

 

もういちど聞きたい、猫も杓子(しゃくし)も、なのだ

 

猫もしゃくしも真似しはじめてしまっている

 

あまりにもニュースで、テレビで、新聞でネットで毎日のように同じような話を聞かされて、もうすっかり覚えてしまったのである

 

こうなってしまっては、首相が直接かかわったかどうかなんていうのはどうでもよくなってしまっている

それを通りこして事態は進行してしまっている

 

国会論戦はおおいに結構だが、

 

私は問わずにはいられない

 

「総理、あなたは今回、反則問題について責任を感じないのですか?」

 

 

 

 

 

皿洗いが毎日つらくて仕方がない人たちへ(2)~”マインドフルネス”がもたらす魔法~

< 前の記事へ

彼らに共通するのは、決して皿洗いをイヤイヤやっているわけではないということだ
 
小林弘幸氏は自律神経の専門家として、もはや日本ではもっとも有名になってしまった一人だろう

メディアは自律神経に関してなにか番組などで取り上げようとした場合、まずこの人に聞け、と考えているようだ(つまり、そのぐらいメディア露出がはげしい)

 

自律神経を整える 「あきらめる」健康法 (角川oneテーマ21)

(小林弘幸氏と著書)


彼がすすめる皿洗いのやり方は次のようなものだ
 

気持ちを込めて一枚一枚洗いましょう。そんな自分自身の存在や、シャボンや水の手触りも楽しみましょう。そして「きれいになっていくのは、気持ちいいなあ」と実感して下さい(自律神経が整えば休まなくても絶好調 (ベスト新書)2017年)

 


ちなみに小林氏は著書の中である実験の結果を紹介している
その実験の趣旨は一言でいえば


マインドフルネスを皿洗いに応用したら、人間の感情にどんな影響があるか


を調べようとしたもの


2015年にこの実験を行ったのはアダム・w・ハンリー氏らフロリダ州立大学の研究グループ

もともと医師ではなくマインドフルネスの研究者らしい

 

これによると、やり方によっては皿洗いがストレスを軽減に効果がみられたというのだ
 

【マインドフルネスとは?】
マインドフルネスはここ数年、グッと注目度を増しているようにみえる
これもいちおう一言で説明すれば、ようするに「瞑想(めいそう)」のことだ

高校球児が「平常心」を鍛えるために座禅(ざぜん)に取り組んだという話はよく聞くが、これも瞑想の一種と言える
「瞑想」と聞くとなにかお坊さんが修行のときにやるイメージや、宗教的な色合いも感じられるかもしれない

ここから一切の宗教色をのぞいたものがマインドフルネスと呼ばれている

 

このマインドフルネスに対して、「宿命のライバル」ともいうべき存在がある

それは「キラーストレス」だ

人間の心と体を猛烈な勢いでむしばむ「悪の元凶」といえるだろう

(たとえるなら「ハリーポッター」に対する「ヴォルデモート【闇の帝王】」、「ジェダイの騎士」に対する「ダークサイド」のようなものだ)

 

たとえ小さなストレスであっても、それがいくつも重なると命にかかわる病気を引き起こすということが科学の進歩によってわかってきている

 

マインドフルネスはこれに対抗する有効な手段としても注目されてきた

 

ではどんな風に皿洗いをすればよいのか。

 

一言でいえば「今、ここに集中する」ということに尽きる

 

たとえば、ブツブツ言いながら皿を洗っている女性がいる

 

「このあと子供を風呂に入れなくちゃいけないし、あすは会社に早くいかなくちゃあいけないから忙しい、早く皿を洗ってしまわなきゃ」

 

もしくは子供に向かってこんなことを言いながらーー

「宿題やったの⁈ 寝る準備しなさい!ああ、今日は仕事で疲れたからお茶でも飲んで早くゆっくりしたいのにー・・・!」

 

筆者は毎日目にするのも筆者に限ったことであるまい

 

これに対して、マインドフルネス的な皿洗いはちょっと違っている

 

つまり「今」、「ここ」で皿を洗っている自分、皿や水の手ざわり、温度、洗剤の香りやシンクに立っているという感覚、皿を置く音、台所の明るさや暗さ、自分のしている呼吸、etc…

今感じているそれらのことに意識を集中させる、ということだ

 

また浮かんできた考え、思考にも意識を向ける

自分が今、何を考えているのか、どんな考えが浮かんできたか、そのような自身のマインドの働きに対して自覚的であるということ、意識を向けることである

 

そうして(小林氏が言うように)今自分が皿洗いをしていることをゆっくりと味わうのである

 

そんなふうにして皿洗いをしたグループはそうでないグループに比べ、皿洗いをした後にはイライラした気持ちが落ち着いてくるという実験結果が出たのだ

*1


そして前述した小林氏がすすめている皿洗いの心得というのも、この研究をふまえたものだ

 

 

しかし、これは考えてみれば当たり前の結果だ

 

「あれもしなきゃ、これもしなきゃ、早く休みたい、」

 

そういったことばかり考えてやる皿洗いが楽しいとも思えない

 

所さんの話を聞いてもやはりこのことがわかる

 

”食器を洗うのでも、タイムを計りながらやってみる。お皿10枚を今日は1分20秒で洗った。昨日より5秒も縮めた。明日はあと2秒縮めて記録を作ってやろう”

(「いいこと「が起こる人、「悪いこと」が続く人 2017年 10 月号 [雑誌]: PHP 増刊*1

 

いろいろ考えているようでいて皿を洗うことに集中している

 

ところでこの研究結果が発表されたことによって"マインドフルネス的な皿洗い"というのが2015年ごろから注目を集めたわけだが実は論文を読んでみると、じつは元ネタとなっている本がある

40年ほど前に出版された禅宗の僧侶の本だ

 

彼の名はティク・ナット・ハン

日本でも多数の著作が翻訳・出版されている著名なお坊さんだ

知る人ぞ知るマインドフルネスの立て役者とも言われる

 

アダム・w・ハンリー氏らによって”皿洗いがストレスを軽減する”という実験結果が出されたということは海外のニュースサイトでも何度も取り上げられ一時注目を浴びたようだが

本当にすごいのはマインドフルネスだ

実験においてハンリー氏が参考にしたのはティク・ナット・ハン氏の著書”The Miracle of Mindfulness”(気づきの奇跡)

 

この本の一節に皿洗いについて書かれた部分があり、実験の参加者はこのやり方で皿を洗うよう促されていたのだ*2

 

このハン氏の著書、最初に出版されたのは1975年

 

もうずいぶんな年月が経っている

 

ベトナム戦争という悲しい歴史を体験した彼は、マインドフルネスが世界に平和を広める手段だと信じ欧米でそれを実践していった

 

The Miracle of Mindfulness”は、彼がベトナム戦争のさなか、友人のために書いた「瞑想の手引き」書だ

 

この本はその後なんども邦訳され、そのほかにも数多くの彼の著書が日本にも紹介されている

 

それだけ現代的にも意味を持つ内容が書かれているということも言えるし、またマインドフルネスへの注目が高まってもいる

 

近ごろではGoogle社でやはりマインドフルネスをテーマに講演を行ったことでも注目された

 

しかし、本をただせば紹介されているのはブッダの瞑想法だ

基本的には仏教の経典に沿って瞑想のやり方が紹介されている

一般にもわかりやすい形で書かれた優れた指南書になっているために、こうして今なお大切にされていると見える(ちなみに私が行く図書館では今日もこの本の邦訳は貸し出し中になっていた)

 

 

ーーさてビル・ゲイツ氏が皿を洗うときに(おそらく今日も自分で洗ったかもしれない)マインドフルネスを意識してやっていたか、それとも別な考えでやったかは計りしれないが

 

ふしぎと様々な方面のひとかどの人物が皿洗いについてコメントしているということが面白い

 

所ジョージ氏はこうも言っている

 

”同じやるのなら楽しんだ方が勝ち。要は、楽しいものが最初から存在するわけではない。いかに楽しく工夫するか。いかに楽しさを引き出すか。それに尽きると思う。”(「いいこと「が起こる人、「悪いこと」が続く人 2017年 10 月号 [雑誌]: PHP 増刊

 

角度はちがうが同じことを言っているようにも見える

 

 「面白き ことともなき世を 面白く」

 

維新の志士の辞世の句が思い出される

 

 

皿洗いが毎日つらくて仕方がない人たちへ ~皿を洗えばイライラが解消する?(1)

*1:ハンリー氏らの研究によると、「マインドフルネス的」な皿洗いには「いらだち」の感情を軽減する効果があるという結果が出た。ただしこの研究はたった51人の学生を対象にしたものにすぎない。研究としてはさらなる検証を必要とすることは言うまでもない。しかしすでにマインドフルネスがストレスに対して有効であることについては明らかにされつつある

*2:

While washing the dishes one should only be washing the dishes. This means that while washing the dishes one should be completely aware of the fact that one is washing the dishes. At first glance, that might seem a little silly. Why put so much stress on a simple thing?But that’s precisely the point. The fact that I am standing there and washing is a wondrous reality. I’m being completely myself, following my breath, conscious of my presence, and conscious of my thoughts and actions.There’s no way I can be tossed around mindlessly like a bottle slapped here and there on the waves.If while washing dishes, we think only of what we would rather do, hurrying to finish the dishes as if they were a nuisance, then we are not “washing the dishes to wash the dishes.” What’s more, we are not alive during the time we are washing the dishes. In fact we are completely incapable of realizing the miracle of life while standing at the sink. If we can’t wash the dishes,the chances are we won’t be able to drink our tea either.While drinking the cup of tea, we will only be thinking of other things, barely aware of the cup in our hands.Thus we are sucked away into the future—and we are incapable of actually living one minute of life

Washing Dishes to Wash the Dishes: Brief... (PDF Download Available). Available from: https://www.researchgate.net/publication/281608722_Washing_Dishes_to_Wash_the_Dishes_Brief_Instruction_in_an_Informal_Mindfulness_Practice?enrichId=rgreq-ac2462657178547f1338145a5e115fea-XXX&enrichSource=Y292ZXJQYWdlOzI4MTYwODcyMjtBUzoyNzI1Mjk5NTI2MDQxNjFAMTQ0MTk4NzYxMjQ0OQ%3D%3D&el=1_x_2&_esc=publicationCoverPdf [accessed May 19 2018].

毎日、会社で腹を下していた私が快適な「腸生活」を手に入れるまで(4)~「小さな豆」への「大きな誤解」~

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じつは納豆も消化しづらい食べ物の一つです

 

納豆と言えば発酵食品だし、健康にいいとされる食べ物の代表格と言っても過言ではないでしょう

 

水に溶けるタイプの食物繊維も豊富に含まれていることから、ほんとうはお腹の調子を整えるという意味でもとっておきたい食品であることには違いないのです

 

ところがここに一つだけ難点があります

 

それが消化しにくいということです

 

◆納豆は消化しやすい食べものか

 

これももちろん個人差があります

 

納豆何パック食べても平気だ、という人もいればパック半分食べただけでも具合が悪いという人もいます(私のように)

 

ただし納豆が消化しにくいと言っても、ニンニクのように食べてすぐ下すというわけではありません

 

たとえば食パンとかお茶漬けというのは、朝食べてから会社に行き、仕事をしていればあっという間にお腹がすいて来るのがわかります。

 

どちらもひじょうに消化しやすい食べ物です

 

ところが”朝、ガッツリ食わないとダメだ”と意気込んで納豆ご飯にお味噌汁という典型的な朝ごはんを食べてくる。そうするとハラもちが良くて助かる代わりにいつまでたってもお腹がすいてこない。それだけじゃなく重苦しい不快感がいつまでも胃のあたりに残っている

 

そんな状態になった経験はありませんか?

 

そしてだいたいその後お腹の調子がいいということはありません。

 

そんなことが起こるのは、いったいナゼなのでしょうか?

 

ヒントは意外なところに転がっていました

 

 

◆豆の消化をさまたげるもの

 

あるとき、帰省した私は父とビールを飲んでいました

 

サラリーマンだった父は退職後に実家の畑にいろいろな野菜を植えるのを楽しむようになっていました

 

もともとは「野良仕事」をきらって花ばかり育てていた「園芸家」の父でしたが、気がつくと花づくりで培われていたスキルをそのまま応用しプロ顔負けの”野菜作りの達人”になっていました

 

その収穫物の中に枝豆があり、ビールのあてとしてその日の食卓に並んだのです

 

ところが父はそのとき意外なことを口にしました

 

「今年は豆が豊作だ。こんなにとれても、ひとにあげるにも限界があるし最後には自分で食べるんだけど食いすぎると腹をこわすんだよ

 

そりゃあ、なんだって度を過ぎて食えば腹をこわすでしょう。しかしかれはもう一つ、重要なことを付け加えました

 

「でも食う時にこのうす皮を出して食えばなんぼ食ってもだいじょうぶだ・・・」

 

 

ーー枝豆というのはよく見ると外がわの固いカラのほかに、豆ひと粒ひと粒にさらに薄い皮が一枚かぶっています。彼が「うす皮」というのはこれのことです。これさえ食べなければいくら食べても平気だよ、と彼は言うのです

 

そんなことがあるだろうか…と思って彼の言う通りにしましたが、その日は飲み過ぎたこともあってか腹をこわしました

 

しかし、あとでよく考えてみると確かに薄皮とはいえ消化の負担になったとしてもおかしくはないことに気づきました

 

 

●そら豆と薄皮

そら豆という豆があります

 

あれが本来どんな形でなっているか見たことがあるでしょうか

 

私は昔、日本料理の仕事であの豆をダンボール何個分かせっせとむいては仕込みをしていたことがあるのでなじみがあります

 

じつはそら豆は漢字で書くと「蚕豆」と書きます。「」は”かいこ”と読みます

 

まるで蚕がさなぎにくるまるようにふわふわのベッドのなかで豆は育つことからこのように表記されています

 

そしてこれは、枝豆が外側の固いカラにおおわれているのとよく似ています

 

ところで時期になると居酒屋のメニューにも「そら豆」が並びます(料理屋のおすすめメニューに「蚕豆」と書いていたらそら豆のことです)

 

だいたい枝豆と同じように塩ゆでしたものが提供されますが、ふつうそら豆の薄皮を食べる人はいません

 

固くて食べづらいからです

 

これは揚げたそら豆のことを考えるともっとわかりやすくなります

 

そら豆と言ったらこっちの方がピンとくるという人もけっこういるでしょう

 

スーパーの乾きものコーナーでもよく見かける”揚げた”そら豆は、外がわが固いカラにおおわれています。フライされて中身も皮も茶色く変わっていますが、もともとはどちらも枝豆と同じようにきみどり色をしています

 

このカラはいくら噛んでもなかなか噛み砕かれず、結局は口の中に残ってしまいます。

 

この固いカラを見て、消化しやすそうだなと考える人はまずいないでしょう

 

このように考えてみると、(農家である父が言うように)枝豆のうす皮だって同じように消化しづらかったとしても不思議はないよなーーそういう結論に至ったわけです

 

 それで私はまず、枝豆の薄い皮を食べるのをやめました

 

 ◆エダマメ=大豆?

 

こうして枝豆の薄皮を食べることをやめた筆者でしたが、このときはまだ納豆の食べ方を変えるまでには至っていませんでした

 

あいかわらず朝食に納豆を食べては、お昼までなんとなく胃の辺りの不快感がぬぐえない・・・ということを繰りかえしていたのです

 

しかし、そのうちに”自分は納豆をくうと腹の調子がわるくなるのではないか?”という疑問は芽生え始め、それと同時に”体にいいはずの納豆がお腹に悪いはずはない、こんなうまいものが体に悪いなんて、信じたくない。みんな平気で食っているし…”という思いとが葛藤するようになりました

 

そんな中で、ある考えが頭に浮かびました

 

「・・・納豆って大豆を発酵させたものだよな?・・・枝豆も大豆だ、って聞いたことがあるぞ(なんかカタチがちがうけど)・・・そういえば納豆のマメにもうすい皮(殻)みたいのがついてるけど・・・あれってもしかしてエダマメについているうす皮とおなじものなんじゃないか?」

 

そうなのです。

 

じつは枝豆と大豆というのは同じものなのです

 

これは聞いたことがある、という人は多いでしょう

 

畑に大豆の種(=大豆のマメそのもの)を蒔いて育てると、何ができるかというともちろん大豆ができるのですが、その前にあるものができます

 

それが枝豆です

 

枝豆というのは(学者の言葉を借りれば)「大豆の若もぎ」、つまり若いうちにもぎとったものなのです

 

豆の枝にぶらぶらと生えることから枝豆と言われるんだろうということが容易に想像がつきます

 

この青々とした枝豆を、とらずに放っておくとだんだんと豆のさやが茶色く枯れたように変色してきて、さいごにはまん丸い大豆ができます

 

”枝豆と大豆は同じもの”

 

(・・・なんどもそんな話を聞いたことはあるが、それって本当にほんとだろうか?)

 

そんなふうに思っている人は私だけではないと思うのですが、このように簡単には信じがたい理由として挙げられるのが第一にどう見てもエダマメと大豆ではカタチがぜんぜん違います

 

大豆(ダイズ)というのはまん丸い形をしていて色は白っぽく、持つと重さも軽く感じますが、それに対してビールのつまみとしてよく食うエダマメというのはきみどり色をしていてなんとなく平べったく、少し反ったような形をしていることもあります。食べた感じもぜんぜん違います

 

ですから”同じものだよ”と言われても今いちピンとこないのもむりはありません

 

ですが。

 

間違いなく枝豆とダイズは同じものです

 

なんでそんなことが言えるのか。

 

去年ベランダで育てたからです。

 

(つづく)