Q太郎の『いぎなり怒らった』

~しみわたる一杯の水~

ふしぎなお客さんの反応~和食割烹にて~

今思い出しても不思議なのはお客さんの反応というものである

 

サラリーマンをやめて最初に飛びこんだのは料理人の世界だった

 

料理人にあこがれを抱くきっかけは漫画だった

ある有名な漫画に出てきた料理づくりのようすがあまりに活き活きと描写されていた

そして何よりその出来あがった料理のうまそうなこと・・・

「『娼婦風スパゲッティー』を食べてみたい、なんてうまそうなんだ…!」

それが、イタリア料理に関心をもった最初だった

 

 

ニンニクが自分の体に合わないと気づいたのは独りぐらしをはじめてだいぶ経ってからだ

お腹は丈夫ではないなと気づきながらもあまり深く考えずにいた

得意料理はマーボ豆腐だと思っていた

マーボ豆腐にはいつもニンニクを使っていた

「調子が悪くなるのはもしかしてニンニクのせいか…?」

そう思いはじめたのはカレーにニンニクひとかけらまるまるを入れたときだった

ついでにペペロンチーノもよく作っていた料理の一つだった

 

そしてあるとき確信に変わった

 

「原因はニンニクだ…」

 

そんなわけだからイタリア料理というのは自分の中では「鬼門」になっていた

じっさいにイタリア料理を作ろうと思うと、むしろニンニクを使わないパスタ料理を探す方がむずかしい

 

今だったら

別にニンニク食えないイタリア料理人がいたっていいんんじゃないの?

という発想もある

もし自分の子供に相談されたら、そう言うかもしれない

 

とにかくそのとき、私は料理人は料理人でもイタリアンではなく和食の道に足を踏み入れた

そしてそれまで毎日朝から晩まで握りしめていた受話器を包丁に持ちかえた

 

 

それで、お店に入って最初におぼえるよう親方に言われたのが天ぷらだった

親方はとてもさっぱりとした人で、その外見にたがわず発する言葉はさわやか

うじうじしたところがなかった

 

もう一人の登場人物は、タカさん

彼は自分より何才か年上だったので、先輩として年齢的にもちょうどいいということは親方もわかっていた

中学を卒業してから蕎麦屋で働き、だいぶ苦労したらしい

大学を卒業して何年か働いただけの自分とは、社会でのもまれ方が違う

兄弟も多いらしく、その長男だったというだけありとても面倒見のいい人でその点については今も感謝している

 

とにかく調理場はその三人でまわすぐらいの小さなお店で、20~30人も入ればほぼ満席だ

親方の師匠は京都の料理人だったので、その人の下で和食の修業をしたという誇りだけは絶対に捨てないというのを感じさせた

そのくせ出汁(だし)をとるとは顆粒だしをつかっていたりしていた

 

しかしお客さんからすれば勝手に鮨屋(すしや)と呼んでみたり居酒屋と呼んでみたりいろいろだったので

「自分はいったい何屋なんだろう」

という疑問をときに感じた

じっさい居酒屋メニューも沢山置いていたし、スシが売り上げの大きな部分を占めていたというのも事実だ

なにより親方の使うネタは妥協がなかった

あるお客さんが(弟子である)自分に向かってこんなことを言った

「…あのねぇ、ここはいいの使ってるよ。ここの親方はいいものを使ってる。あなたもこの人についてよく勉強しなさい」

ものすごく大げさに言ってしまえば、刺し身はただ切って出しただけの料理だ

だから切り方の前にネタのよしあしで味はきまってしまう

まずいものはどう切ってもまずいだろう

そのお客さんは常連さんではなかったが、妙に説得力があって10年近くたった今もその場面が思い出される

 

とにかく20代も後半になってこの道に入った自分は、そこでくる日も天ぷら鍋と格闘した

腕はあっという間にやけどだらけになっていた

しかしそんなことは問題にしていられなかった

3ヶ月したら、待ったなしに赤ん坊が生まれてくる

気がつくとなんとか天ぷらをあげられるようになっていた

 

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