Q太郎の『いぎなり怒らった』

~しみわたる一杯の水~

「ウニヒピリ」 ――もうひとりの自分――(2)

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正直どこか宗教じみていて不思議な感じもするこの

 

「ウニヒピリ」

 

という存在

 

 

日本語ではないのでなおのこと神秘めいている

 

しかし、宗教的なことはさておき

 

この「ホ・オポノポノ」というメソッドについて思うことは、

 

(人間の心って、やっぱり万国共通なのかもな・・・)

 

ということ

 

自分の中にいる「もう一人の自分」=「ウニヒピリ」の声に耳をかたむけて大切にあつかう

 

要するに自分を大事にする、大切にあつかうことがほんとうは大事

 

でもそれは意外にあとまわしにされやすい

 

自分を大事にするって意外にむずかしい、どうしたらいいかわからない

 

だからその方法をおしえます

 

どうすることが自分を大切にするということなのか

 

どうしてはいけないのか

 

なにをすればよいか

 

それを教えてくれるのが「ホ・オポノポノ」というやり方であって、

 

それはまずは「ウニヒピリ」(=「もうひとりの自分」)というものを認識すること、認めることからはじまるよ、

 

ということ

 

筆者なりにそのように受けとめてみた

 

 

ーーちなみに

 

ここまでふつうに「もうひとりの自分」という言葉を使ってきたが、

 

「もうひとりの自分」

 

と聞いて、人はどう思うのだろうか

 

筆者は長らくこの「もうひとりの自分」ということに無頓着(むとんちゃく)であった一人だ

 

私がはじめにこのことを意識したのはたまたま受けていた心理学かなにかの授業でだった

 

その日、先生はこんなことを言ってあらかじめ用意したアンケート用紙を学生に配った

 

自分の中に『もうひとりの自分』がいるという感覚がありますか?

もしそのような意識があるとすればそれはどういったものでしょう

あるいはどのくらいはっきり意識しますか?

 

これにはかなり個人差があって、どちらがいいとか正解だとか

そういうことではありません

ただなんとなく自分の中に「天使の自分」と「悪魔の自分」がいてせめぎあっていると感じる人もいるでしょう

たとえばケーキを食いたい自分と、それをやめさせようとする自分、というように

あるいはまた、はっきりと「もう一人」自分とはちがう別の「自分」がいると意識するひともいるかもしれません

 

どちらがいいということではありませんが、できるだけ思い当たることを書いてみて下さい

 

 

この説明を聞いた当時私は

「・・・もうひとりの自分・・・?そんなのってあるのかな?」

という程度の認識しかなかった

 

もちろん朝ふとんから起き上がるときに眠気(ねむけ)と葛藤(かっとう)するというようなことはあったし、さまざまな罪悪感などと、人としての欲望とのあいだで葛藤するというようなことはもちろんある

 

しかし「もうひとりの自分・・・?」

 

・・・どうしてもその感覚にピンとくるものがなかった

いくら考えても答えは見つからず、余白も埋まることはなかった

 

 

時間が来て、用紙の回収がはじまった

 

自分は用紙の1/3程度を埋めただけったようにおもう

 

「どちらがいいということではないと言っていたし、別にいいだろう」

 

しかしたいした考えもなく用紙が回収されていくのを見ながら私はハッとした

 

「あれ?なんかみんなけっこう書いてるぞ?」

 

自分だけテストの答えがわからなかったときのような不安感が、急におしよせてきた

 

その次の授業で、先生はアンケートの結果についていろいろと評価や説明をしていった

 

それを聞きながら、私は再び言いしれぬ不安と焦りにとらわれることになったーー

 

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