Q太郎の『いぎなり怒らった』

~しみわたる一杯の水~

世間はいったい何に対し怒ったか?~日大アメフト部タックル事件の根底に横たわるのは

 

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日大アメフト部の反則を巡っては、ずいぶんと長いあいだメディアを賑わした。事件から1か月を経てもなお収拾する気配がない。

 

反則を指示した疑いがもたれる元監督に対して、世間は目は極めてきびしい。常務理事の辞任に追い込まれているにもかかわらず、だ。理事長に対しては「辞任せよ」という動きまで出ている。

 

いったいなぜか。

 

世間はいったいなにに対して怒っているのだろうか?

 

コーチや選手にすべて罪をなすりつけ、自らは責任を逃れる(かに見える)監督にだろうか

 

あるいは「勝手な思い込みでやったことだ」と一方的に学生を突きはなし、その後一貫して冷淡な態度を示しつづけてきた大学に対してだろうか

 

さもなくば勝手に忖度(そんたく)した、ということにされて誰がが冷たく切り捨てられていく組織のあり方に対してだろうか

 

都合の悪いことにはすべてフタをしろ、見て見ぬふりをしろ、永久に闇の中に葬ってしまえ、という組織の論理に対してだろうか

 

 

このことは一向、独り日本大学だけの問題ではないだろう

 

政治家や官僚がやっているのを見てそれを民間がマネしただけ、というようにも見える

 

安倍総理とその手足になって働いている周りの人間たちは、いいお手本を示し続けているようにみえる

 

本人たちにはそのつもりがあるかはともかく、一生懸命、国民を「感化」し続けるかたちとなった。国のトップとして、率先して模範を示しつづける様子を、日本全国・津々浦々で小学生までも注目している

 

 

今回の反則問題で、あらためてパワハラの構図というのが浮き彫りにされている

 

組織に属したことのある人であればこのようなことは程度の差はあれ誰しもが経験し、見聞きしたことではないだろうか

 

今回、”アメフトの試合”というわかりやすい”舞台”があった。実際の場面が撮影されており、動画で拡散しTVで日本中が知ることとなった

 

とは言え正確なアメフトのルールがわかる人はほとんどいなかったろう。しかしあの動画を一目見て異常なプレーだと思わない人がいるだろうか

 

さらに監督がコーチを通じて学生に反則の指示を下したのではないのか、という点が議論になった。自分では直接手を下さず、ひとにやらせるというやり方だ。この点もいじめの構造としてはわかりやすく、多くの人が直感的に理解したことだろう。

 

ここまでならまだましだった。

 

ところが大学側はある種、理想的な対応をした。本来ならばそれにいたる事件の経緯を誠実に説明することが謝罪の第一歩になるはずだった。少なくとも部として、大学として、それを説明する責任を負っていたはずだった。また誰もがそれを求めていた。

 

ところがその責任はいつまでたっても果たされることはなかった。日大が相手チームに対して出した答えは次のようなものだった

 

指導者による指導と選手の受け取り方に乖離(かいり)が起きていたことが問題の本質と認識しており

 

ーつまり「指導者」の意図したことと、「選手の受け取り方」にズレがあったと言いたいわけだ。コミュニケーションの行き違いといえば聞こえはいい。しかしこの言い方、やはり「既視感」がある。どこかで聞いたような言い回しではないか。

 

「部下が勝手な思い込みでやったことで、自分が指示したことではない。一切かかわっていない」

 

うんざりするほど聞いた気がする。

 

「記録はぜんぶ捨てたなんて、そんないいわけがまかり通るのか、」と納税者の反感を買い、国政のトップで仕事をしていた官僚が、まるでこいつらが全部わるいとばかりに槍玉にあげられた。組織的に文書を改ざんしていたことも明らかになった。

 

しかし、よくよく考えてみれば彼らがかわいそうになってくる。

 

どこかの国では、権力のトップとか財閥のお偉いさんとかを何か理由をつけて引っぱってきて吊るし上げて、うっぷん晴らししているようだ。それと同じにはなりたくはない。官僚を吊るし上げにしてうっぷんが晴れてしまっては、それこそ思うつぼではないか。

 

そもそも彼らがそれほどまでに忖度(そんたく)をしたとすれば、それはほかならぬ官邸の気に入らなければ絶対に出世できないからだし、彼らをそばに置いているのはほかならぬ官邸の意向でもある。結局、そういう人たちを起用したのは誰か、という問題になる。

 

また何が彼らをそこまで追い込んだのか、ということでもある。本来、官僚というのは民間に対して”法律をしっかりと守りなさい、守らんとタダじゃおかんぞ!”というスタンスで監督するのがだいじな仕事のはずだ。運輸局とか、財務局とか、そういった官庁のトップに位置するのが今、ニュースを騒がしている官僚の方々だ。万が一、民間が官庁に提出するべき書類を改ざんしていたら、それを許してはならない立場にあるのが官庁なのだ。だから文書を改ざんするということがどういうことなのか、誰よりもわかっているのが官僚という人たちだ。

 

それでもやった、ということなのだ。

 

言ってみれば、絶対にありえない反則をやったのだ。

 

それをやらせたのは誰なのか?

 

国のトップの説明は、どこまでいっても言い訳がましく誠意を尽くしているように見えない。まるでどこかの私立大学のトップのように。

 

政治のやり方に向けられた私たちの疑いの目・不満や怒り、そういったすっきりとしないフラストレーションが今回、「またか」と言わんばかりに”アメフトの試合での反則”というわかりやすい場面を得て噴出した。日大に、そして元監督に向けられた。しかし、やはり日大も同じようにのらり、くらりと追及をかわし、どこまでいっても納得のいく結論が出ることはなかった。こういった問題にとっての宿命のようなものなのだろうか。

 

しかし私たちの気持ちにこのようなもどかしい思いがもしなかったとしたら、反則をめぐってもここまで大きく騒がれることもなかったのかもしれない。

 

そんなことをしている間に資産家の亡きがらから覚せい剤が検出されるというスキャンダラスな報道がニュースを席巻してしまった。大阪で大きな地震が起き、小学生を含む3人が亡くなるといういたましいことも起きた。ワールドカップも始まった。

 

すっかり私たちの気がそれたところに、今日の加計幸太郎氏の釈明会見が開かれた。まさに機をみて、というところだろう。

 

しかし、ワールドカップがいかに盛り上がろうと、日大の反則事件に対する司法の対応がどのような結果に終わろうとも私たちの心の内にくすぶっている疑問が消え去ることはないだろう。

 

ものごとに白黒つけないことで成り立っていることが、世の中にはいかにあることか。ほかならぬ筆者も、思い返せばそんなことばかりでずいぶん助けられている。

 

しかし一方でどこまで行っても結論が出ない状況にうんざりしている人がいるのも確かだ。「国民もずいぶん馬鹿にされたもんだ」そんな声をじっさい聞く。

 

幸か不幸か、大阪の検察は財務省の職員の起訴を見送った。罪に問われない、ということだ。しかし問題はこれで終わりではない。制度上もそうではあるけれども、なによりも私たち国民が納得していない。

 

「私は何もしていないのに、部下が勝手に動いたんです。」

 

そんな態度に傷つけられてきた人たちが、どれだけいるだろう。

 

実名を明かしてテレビに姿を現したアメフト部の3年生に同情した人も多かったのではないか。

 

「反則問題」は、まだ終わってはいない。